内から、外から
posted by Hanae
先日、チネイザン6期生の授業の聴講に行ってきました。
日本チネイザン協会は卒業したら終わりではなく、聴講制度なるものがあって、卒業後も無料で現役生の授業を聴講できる有難いシステムがあるんですよね。
行ってみるとその期毎にカラーがあって、自分の期とはまた違ったカラーがあってとても面白いクラスでした。
授業内容は、一度受けているものなのに”受け手”が変われば”教え手”のアプローチも変わるからか、自分が授業を受けていた時とはまた違った角度のお話が聞けて、とっても勉強になりました。
チネイザンを続ける限り、自分自身が”生徒”であることは一生変わらないことだけど、現役で授業を受けていた”内”にいるときには気づけなかったことに気づけたり、また違った受け取り方ができたりして、”外”からの視点で授業を受けられてとても発見がありました。
言わんとする部分をあの時は分からなかったけど、今ならこんな風に感じられるんだなぁ~と発見できたのも嬉しい収穫!
尽きることのない興味の宝庫☆チネイザンって本当に面白い!
チネイザンにおける自己修養(続)
posted by Shizuka
今回はGilles Marinの著書
“Healing From Within” の抜粋からの第4弾です。
(前回は2012/03/07のブログをご参照ください。)
タオイストの錬金術を通し
ヒーリングのエネギーを高める
ヒーリングに携わるプラクティショナーにとって、気を修練すること:気功は基本的なことであり、とても大切なことだ。修練とは、気を育て磨きをかけていくこと。そしてその気の修練は、ここでは内側の錬金術つまり内丹術のことを指す。錬金術とは一般的に粗悪な金属からゴールド(金)を精製していくことと理解されているが、自己修養における比喩的な意味で使われる場合、それはエネルギーの変換や精錬のプロセスを意味する。
では粗悪な金属とゴールドのエネルギー的な違いとは何か?粗悪な金属は気を伝導しにくい。発熱して終わってしまう。電気式のヒーターは充分な量を送り込めないためヒートアップすることが多い。そしてオーバーヒートがおこる。
多くの電力を運ぶためにはゴールドのようなすぐれた伝導線が必要になる。
これを私たちの身体に当てはめると、気功の錬金術を行うことで、プラクティショナーは自らの気を精錬し、良質で多くの気を流すことのできる身体づくりができてくる。漏電やメルトダウンすることなく、より多くの気を蓄え、洗練されたものにしていく身体ができてくる。そしてその身体づくりは、一貫したタオの瞑想やチネイザン、気功によってもたらされる。またその成果は、日々の絶え間ない練功を行うか否かにかかっている。そしてこれはトリートメントを行ううえで充分な気が必要とされるプラクティショナーにとっては、とても重要なことだ。
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病気になったり疲れたりすることを避けるためにも
プラクティショナーは自己修養をし、
効果的なトリートメントに必要な、
充分な量と質の気を養っていくことが大切だ
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同調性ということについて
充分で精錬された気を養うということの他にも、プラクティショナーは自らのヒーリングや自己修養にも心を配る必要がある。クライアントへのコーチングも、自らの練功の経験が豊富であるほど説得力を増す。そしてプラクティショナーがノンジャッジメンタルな(批判のない)態度でクライアントに接する時、クライアントは自己批判することなく自分自身を感じることができる。そういう場ができた時に、プラクティショナーとクライアントの間に信頼感が生まれ、複雑で難しい状況においても、シンプルな技法がトリートメントの効果をあげてくれたりする。このような同調性の原理を普段から自らのプラクティスに組み入れるとよい。
そうでないプラクティショナーは「気は流れる」ということに気づいていなければいけない。気がプラクティショナーからクライアントに流れなければ(そしてこの流れが正しいのだが)逆の流れを辿り、プラクティショナーにリスクを与える。このような流れが起きた時、クライアントは満足し楽になるかもしれないが、一方で、ぐったりとした消耗感や混乱や不調をもたらすこともあるからだ。
気の流れを増す
プラクティショナーはトリートメント中、リラックスしていることが大切だ。そうすることで気が流れ、お腹を感じ易くなり、オープンで敏感でいられる。やさしいタッチがとても重要だ。お腹の内側に深く入っていくためには指が柔らかくなくてはいけない。クライアントが感じるべきは、自分自身の内側であって、プラクティショナーの指ではない。
柔らかさをもって強さを発揮するアートは、武術から学んだ部分が大きい。それは意図する力であり、“意”という漢字であらわされる。この漢字は3つの部分から成り立っている。一番上は思考/意志(立)、真ん中は目(日)、そして下は心(心)だ。何をする時であれ、私たちはものごとに対し、意志を持ち、感覚や心を注ぎ、成し遂げる。その時、気の流れはオープンだ。そこに筋肉の力は必要とされない。パワーを与えるのは気であり、気は筋肉がリラックスしている時に流れる。パワーを保つためにも筋肉はゆったりとリラックスしていなければいけない。プロのアスリートは筋肉が瞬時に収縮するのと同じぐらい、リラックする力が大切だということをよく知っている。
タオの哲学の古典には、真の力は水の如しと書かれている。水は力を加えることなく沈んでいく。水は抵抗することなく行くべき道を進み、自身を乗せた波に乗って進む。チネイザンのプラクティショナーもこの水と同じパワーを手につけるといい。そして手技を効果的に行うための、そして気が流れるためのソフトで液体のように滑らかな指も必要だ。またトリートメントの間は、リラックスして自分のセンターから自然に動いているか、身体の重さを使っているかを確認する必要がある。自らがリラックスしてセッションを行うことで、クライアントをリラックスさせ、気の流れを増し、呼吸を深めることができる。リラックスしているということでオープンになり、それによってプラクティショナーは、落ち着いた洞察力と純粋な探究心を持ってセッションに臨むことができる。
Gilles Marin, ”Healing From Within”
page 28~30
North Atlantic Books, 1999
次回へ続く
チネイザンて本当に必要なの?(4)
posted by Daisuke
内臓との会話に暇が無い今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
内臓と会話・・・?え?それって独り言・・・?何・・・?あなた大丈夫?と心配されないか心配です。
今回はプラクティショナ側の観点から否定してみようかと。(C:クライアント P:プラクティショナ)
(以下、週1で計4回施術を受けてうつの症状が改善したクライアントの経験談を基にしています。)
C:星さん、うつが治りました!!
P:いやいや、治ったかどうかはお医者さんしか判断できませんから。
C:でも、5年以上飲んでいた薬を飲まなくなってうつの症状がなくなったんですよ!!治ったんじゃないんですか!?
P:私は医者じゃないのでそういう診断は出せないんですよ。確認したければお医者さんに行って頂けますか?
C:だって、治ったのにわざわざ医者に行く必要なんてないでしょ!?治してくれて本当にありがとうございます!!
P:いや、私は治してないですよ。
C:え!?だって、5年以上医者に通ってて薬を飲み続けてたのに、1ヶ月セッションを受けただけでそれが改善したんですよ!!星さんが治してくれたんでしょ!?
P:それはあなたが自分で治したんですよ。
C:どういうことですか?チネイザンを受けてから良くなったんですよ!!
P:まぁもともと治りかけてたのかもしれませんし・・・。チネイザンがきっかけになった可能性はありますが・・・。
C:でも私はチネイザンのおかげだと思ってるんですよ!!本当にありがとうございます!!
P:いやでも、本当にそうかはわかりませんからね。
C:いったい何なんですか!?私を治そうと思ってチネイザンを施してくれたんじゃないんですか?
P:そうですねぇ・・・。まぁそもそも特定の疾患に対して施術するものではないので・・・。
C:じゃあなんで勧めてくれたんですか!?
P:まぁもし良かったらどうかなと思いまして・・・。そしたらあなたが求めてくれたので。それならばと。
C:治そうとして施術してくれたんじゃないんですか!?そんな気持ちで施術してたんですか!?
P:いやいやもちろん施術は心を込めてやりましたよ。まぁ、症状が改善したんだから良かったじゃないですか。
C:・・・。まぁそうですけど。。。えっと、とにかくまぁ本当にありがとうございました!!
P:いや、だからそんなに感謝されても、治したのはあなた自身ですから・・・。
C:きぃぃぃぃ!!!私のこの感謝の気持ちはどうしたらいいんですか!!!!!
以上、実体験を基にしたフィクションであり、実際はちゃんと感謝の気持ちを受け取ってますのであしからず。
施術の際、こんなめんどくさい会話にはなりませんので、気軽に「星大介」までご用命ください。。。ではまた・・・☆
初めまして
posted by Midori.O
このたびプラクティショナーになりました太田です。
岩手県盛岡で女性限定の鍼灸院を開いております。
私のチネイザンケースセッションは、
鍼灸にいらしてチネイザンケース募集の張り紙を見て受けてくださった方、
そこからご紹介いただいた方
がほとんどでした。
沢山の方がお腹を見せてくださったこと、この場をお借りして再び感謝の意を述べたいと思います。
ありがとうございました
そして真面目な3期のメンバーについて行ったおかげで不真面目な私もここまで来れました。ほほ!
3期のみんなもありがとう!
さてプラクティショナーになるまでに大内さんに言われたこと。
それは、下半身の力をもっとつけた方がいい、ということです。
わかっていつつも今現在もなかなかへなちょこな私。
盛岡ではどうも自動車ばかりに乗ってしまいがちですが、とりあえず歩くことから始めてみようと近所を散歩することにしています。
私の鍼灸院のある盛岡市神子田町界隈は盛岡に古くからあり、中心部だった町です。
徒歩圏内には派手ではありませんがほっこりくるような、そして渋い観光名所が数か所あり、散歩やジョギングするのにはとても良いところなのです。
今回その一部をご紹介いたします。
まずは、十六羅漢公園です。
広場の周りに中心を向くように羅漢様が配置されています。正確には十六の羅漢様と五体の五智如来像の21体の石仏です。 江戸時代の飢餓で亡くなった方々の供養のために造られたものだそうです。
子供が遊んでいたりベンチでくつろぐ人がいたり、の公園なのですが、四方をぐるりと羅漢像如来像に囲まれていますので、少し厳かな気持ちになったりもします。
一体一体じっくり石仏を見て回ると、筆を持っていたり米の袋のようなものを持っていたり、中には猫を抱いていたり(!)
お顔も微笑んでいたり笑っていたり怒っていたり、と様々。
特に柵に囲まれているわけでもなく屋根がついているわけでもなく、そのままそこに座っておられる石仏達。
周りを囲むのが松の木ではなくて熱帯の植物だったら少しタイのような感じにも思えます。(行ったことはないのですが写真などのイメージで)
生活の中に溶け込んで石仏達がある、といった様子です。
きっとここでインナー風水太極拳をやってみたら楽しいはず。
私はまだ完全には型を覚えていませんので、この向きであの羅漢様の方向に向かうはずなのに違う羅漢様だな…おっかしいな~。
と確認しながら練習できます。
朝夕はまだ冷えますが、白鳥も去り確実に春の訪れを感じ、本州で一番寒い県庁所在地である盛岡の市民にとってはやっと「ホッ」と肩の力を抜ける嬉しい時期なのです。
チネイザンて本当に必要なの?(3)
posted by Daisuke
内臓との会話に暇が無い今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
否定すればするほど必要性を感じざるを得ないチネイザンですが、とりあえず今回も否定していきたいと思います。
今回はクライアント側の観点から否定してみようかと。(C:クライアント P:プラクティショナー)
C:チネイザンって即効性無いよね。
P:いえいえ、そうとも言い切れませんよ。便通や肌の調子がよくなったり、調子悪くて酒を飲めずにいた人が次の日はのめるようなったりとか、そういうこともありますよ。
C:でもそれって人によって違うんでしょ?
P:まぁ、、、確かにそうですが、便秘の人が、翌日自然に出たって話は多いですよ。
C:便秘なんて便秘薬のめばすむでしょ。それ以外何か効果はあるの?
P:人ぞれぞれですね。
C:それじゃ説明になってないでしょ?
P:まぁ、、、確かにそうですが、本当に人それぞれなので・・・。
C:受けてみて何も起きなかったらどうしてくれるの?
P:えっと、受けても何も起きないと思いますが、単純にとても気持ちいいと思いますよ。
C:気持ちいいだけで何も起きないの?それって受けて意味あるの?
P:まぁ、、、意味は自分で見つけてください。そのお手伝いはできますので。
C:自分で見つけてくださいって、マッサージとかだったら見つけなくても肩が軽くなったとか、エステだったら肌が綺麗になったとかぱっとみでわかるじゃない?そういうのはないんだ?
P:えーっと、施術を受けただけですぐ肌つやが良くなる人もいます。
C:それも人それぞれだと?
P:まぁそういうことになりますね。
C:じゃあいったい何を期待してチネイザンを受ければいいの?
P:何が起こるかわからないから人生楽しいのではないでしょうか?
C:何が起こるかわからないことに金をかけろっていうの?博打ですか?
P:ははは。博打ほど危険な物ではないと思いますが・・・。
C:そんな意味の無いことにお金をかけてる余裕と暇なんてないよ。
P:まぁ、そうですね。でも今あなたがお金をかけていることだって本当は意味ないかもしれないし・・・。ほら、子供の頃、なんでこんなおもちゃ買ってしまったんだろうとか、昔夢中になってた趣味とかで、今は全く興味がなくなってしまったこととかないですか?
C:あるけど、それはそのときは意味あったんだよ。
P:でも今は意味ない訳だ。
C:まぁ・・・そうだけど。。。
P:じゃぁ、今意味が無いと思っているチネイザンももしかしたら意味あるかもしれませんね。
C:・・・。
P:意味なんて物はそのときの都合によっていくらでもかわりますからね。
C:だからってそれがチネイザンが意味あるってことにはならないよ。
P:まぁそうですね。ただ意味無いとも言えない。
C:・・・。
P:一度受けてみてはいかがでしょうか?
C:私は今、この瞬間に意味があると思ったことしかやりません。
P:常に意味のあることしかしてないんですか?
C:そうです。意味の無いことしたって意味ないじゃないですか。
P:いやー、常に意味を求める生活・・・。さぞ疲れるでしょうね。それでは気晴らしにチネイザンを受けてみてはいかがですか?
C:あんたの屁理屈はもううんざりだ!!
ちゃんちゃん。
今回はこれでおしまい。
チネイザン・プラクティショナーへの道.2
posted by Midori
プラクティショナー養成ワークショップでは半年間、もしくは一年間、チネイザンの手技を学ぶのはもちろんなのですが、それ以上に多くの(ほとんどの?)時間を使って行うのが、自身の内面を揺さぶることだったように感じます。
それは瞑想や気功を通して、ですがチネイザンそのものが他者とのタッチを通して、自身と向き合わざるを得ないものだからなのだと思います。
自己に揺さぶりがかかって、それを破ろうとする時に、私たちの体は、壊れないように自己防衛する手段として、眠くなったり異常に感情が動いたり理屈っぽくなったりすることがある、と習いました。
確かに、ワークショップを終えた次の日から数日、体がだるくなったり、下痢をしたり・・と、個人差がありますが、様々な不調の表れることが多かったようです。
ワークショップを続けることがしんどくなった人も居たことでしょう。
見えないエネルギーですから、「気のせい」と一蹴することも、また納得することもできるという、なんとも曖昧なものなのですが。
それでも私は、集まった30人ほどの仲間が、その場を濃密に共有することによって生まれている「何か」を感じました。
それは
認め合うこと・・
ただ寄り添うこと・・
見守ること・・
そんな行為がさり気なくなされている「心地いい空気感」のようなものだったのかもしれません。
これって、なんなのかなぁ~
大内さんはどんな働きかけを意識的にしてたのかなぁ~と疑問に思っていましたが、2月にあったタイでのリトリートに関する大内さんのブログで、少しその謎が解けたような気がしました。
この人たちが、自由で安全な空間と時間を作り上げて、キープするのが僕の一番の仕事です。
もちろん、インナー風水太極拳や、ヒーリング・ラブを教えることも僕の勤めですが、僕はワークショップをする時には、皆が個々、自由におおらかでいられる事、そして、お互いが繋がれること、個々の内部への冒険ができること、そういうことをキープするのがファシリテーターとしての勤めだと思っています。
自分自身の中に安心できる場が確保できれば、人は自身に対しても他者に対しても本来持っている優しさを向ける生きものだということがチネイザンのワークショップを通じて体が理解したように思います。
なんという穏やかな感覚でしょう。
そんなワークで繋がった仲間は、2年経った今でも何となく緩い感じで関係が続いているんですよ。
これほど心強いことはないなぁ・・と言うのが今の私の感想です。
生きることはとても厳しいことですが、良い意味でも悪い意味でも他者とのエネルギーに影響されながら生きている確かな現実を受け容れながら、バランスを取っていきたいなぁと思います。
大きくバランスを崩しそうになったとき、手を差し伸べてくれるのも他者だということもまぎれもない事実ですね。
そう信じて生きていきたいです。
見えない世界で怪しげですが(笑)
チネイザンワークショップは人間理解へのステップの一面もあったように思います。
新しいとき
posted by Hiyori
前回のブログで「Andrewのチネイザンを受けた」と書きました。「セッション中に感じた こと、思い浮かんだことを大切に過ごしています」と。
その時に感じたことを大切にしよう!と、しばらくセッションをお休みさせてい
ただいています。
セッションをするのが嫌になったわけでは全くありません。むしろ
「(ボディワーク)受けるの気持ちいい~!大好きだなぁ」
「やっぱりボディワークって素晴らしいな~」
なーんてしみじみ感じちゃったりしました。
でもなんかきっと、もやもやとしたものが頭の中というか、こころの中にあったのですよ(しつこいようですが、セッションのことで、ということでは なく!です)。
そのもやもやを、もやもやのままにしておかないための選択として「セッションをお休みしてみよう」とすんなり思ったのです。
Andrewのセッションを受けて、ぽやぽやしたこころと身体で雪の中を歩いて、帰りのバスに乗る頃にはもう、決めてましたね。
決意!みたいな大層なものではなくって、落ち着くべきところに落ち着いた、という感じで。
そんなわけで、今、新鮮な時間を過ごしています。
こういうことって、実は、ボディワークの大きな恩恵だと思っています、わたし。
今回の場合はたまたまチネイザンでしたが、チネイザンに限らず、その人に合ったセッションを受けると、ごちゃごちゃになっていた頭の中がびーっく りするくらいすっきりします。
「何を悩んでたんだっけ…?」なんてことも。
身体がすっきりして頭(こころ)の中もすっきり。
なんと素晴らしく連動している!
そうだよねー、身体もこころも全部合わせてのわたしなんだよねー、としみじみうれしくなっちゃいます。
こう喜べるのも、ボディワークの恩恵だなぁ。
父のこと
posted by Kumiko
大好きだった父が2月に亡くなりました。95歳でした。
実業界で活躍しましたが、若い時には家では私たち子供たちには厳しくて、でもユーモア好きでおちゃめな面も持つ父でした。囲碁、将棋をよくし、草花を愛し、油絵を描くのが趣味でした。年を取ってからは、孫たちには、優しいいいおじいちゃんでした。
わたしも若いころはよく父親に反発したものですが、今考えてみるとずいぶん色々な面で私は父に似ていたのだと思います。父から私へ、そして私の子供たちへ、特に父に似ている長女へと、脈々とその遺伝子が受け継がれているのを感じています。
いずれ娘も結婚を迎える年になり、やがて孫も生まれて(期待しすぎ?!)また命が受け継がれていくのだと思います。
父から受け継いだ命のバトンを大切にして行きたいなと思うこのごろです。
父は幸せな人生を生きたと思います。そして、その旅立ちもあっという間でした。
チネイザンや瞑想を学ぶということは、よりよく生きることを学ぶとともに、自分や家族の死と向き合うための準備でもあると、今回のことを通して思いました。
エネルギー
posted by Yuki
もともと私はエネルギーが専門で、エネルギーを学ぶためのエネルギーの学校を主宰している。
そして、何よりも大切にし、かつ 大好きなのはエネルギーを感じること。
それがあるからこそ、毎日の瞑想も呼吸法も様々な行も至福のときへと続いていく通路となる。
エネルギーを「感じる。」には、ある程度の訓練が必要になる。
全てはここにある。
と言っても、心地よい環境の中に何時もいられるわけではないし、 長年、自らを守るために なるべく傷つかないように麻痺させてきた部分も多々ある。
だから、いつも全てを感じることは危険なことでもある。
しかし、少しづつ見方やあり方を変化させ、 エネルギーを感じるための あらゆる意味でのスペースを作ってあげることは、 この人生を何倍も楽しむツールを手に入れることにもなる。
そして、またそれは魂のための需要にもなる。
たいていの人は、自分はエネルギーなど感じることが出来るわけがない。
と思っているのが普通だと思うが、
たとえば、
満員電車にギュウギュウ詰めになって乗っている時に周りの人から伝わってくる「何がしかの心地よくない雰囲気。」と、
大自然の景色を見ながらゆったりとした座席に座って心地よい風を受けながら乗る電車。
この文章を見るだけでも自分の中に何らかの変化が起きるのではないだろうか?
先日、高校生にエネルギーのことを知ってもらうために簡単な実験をした。
彼らはエネルギーに対しての知識も感じることも興味もそれほどない普通の高校生なのだが、
自分がネガティブでいる時のこと
自分がステキな気分でいる時のこと
それぞれ思い描いてもらい、思い描いている間に同じように水を入れたコップをそれぞれ持ってもらった。
さて、結果は。
エネルギーなど感じられないと思っていた高校生たちは、
自分が持っていたコップの水の味や濃度の違いに驚いていた。
ネガティブなほうの水は、塩っぽかったり、ネットリと絡みつくようだったりした。
ステキな事を思い描くほうは、甘く、スッキリとしている。
という意見が多かった。
私たちの身体は、少なくとも半分以上は水分で構成されている。
自分がどのような意識で日々を送っているかは、自分の身体に影響しないはずはないのではないだろうか。
花粉症の季節に
posted by Kyoko
春の訪れを花粉症の症状で確認する人も多いでしょう。私もそうでした。花粉症の症状に悩み、漢方薬局へかかったときに、まずは胃の立て直しからと説明を受けました。
私の当時の朝食は、カフェオレにヨーグルトにチーズと乳製品オンパレードで、これは小さいときに牛乳を飲むと背が高くなるよと言われ、それを信じて取り続けていたからなんです。その結果、153㎝って…今となっては笑い話!乳製品の摂取をやめると、それまで、常に不調だった胃が痛むことがほとんどなくなりました。後から考えると、その頃からくよくよと悩むことも少なくなっていったように思います。臓器と感情はやはり密接に関係しているのだと思います。
最近では、食べ過ぎた時以外に胃が気になることもなくなり、長年の不調はなんだったんだろうと不思議に思うくらいです。
そして、解剖学的には胃の延長線上にあり、最大の免疫器官でもある「腸をいたわる」こともとても大切です。花粉症をはじめとする皮膚のアレルギーは、中医学では「肺」のトラブルと考えます。その「肺」と密接に関係しているのが「大腸」です。大腸は、小腸で消化吸収した栄養分の残りから、水分を吸収して、不要なものを体外に排出するという役目を果たしています。
その役目と同じく、感情面においても、自分にとって必要なものとそうでないものを分け、不必要なものをうまく外に出すことを「大腸」は担っているように感じます。チネイザンでも、今いらないものを上手に手放していく上で、とても大切なパートだと思っています。
今も花粉症を完全に克服したわけではありませんが、この季節は腸と粘膜をいたわることで、症状が大きく緩和されるようになりました。逆にすごく疲れていたり、不摂生が続くと確実に悪化します。常に自分の身体と対話することが大切だと思います。







